「ただ見守る」という生き方。

かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜、今回は学校で肝試しでございます。
 
明日太の妄想にターボがかかっているような気がしますが、
まあ面白いので許可です。彼は海の一件で吹っ切れたのか?
ケダモノが倍増したような感じで、今年の夏コミが楽しみです。
 
今回はとまりが海での明日太のように、はずむの無意識に心乱され、
やす菜は…とまりとの心の連帯ができつつあるのでしょうか?
同じ何かに好意を寄せているという部分での共感?共犯関係?
軽い神経戦はあっても殺伐としたものにまで発展しないというのは、
お互いの「自分には無い良さ」を認めているからかもしれません。
 
で、今回最大の注目のあゆきさん。
あゆき的には、たぶん見ているだけで満足なのでしょう。
幼い頃から達観しているというか、悟っているというか…。
一歩引いたスタンスが、彼女にとってのベストポジションなのでしょう。
物語において「語り部」の存在は必要不可欠ではありますし。
 
舞台から降りて傍観者に徹するって、物凄い楽ですよ。
リスクもなければ責任もありませんし、傷つくこともありません。
でも、でも…刺激には欠けます。カタルシスもありません。
オシム語録的に言うならば、塩コショーのないスープのような
人生といったところでしょうか?
 
安全地帯で気になる何かの一部始終を見守るというのも
一つの選択肢かもしれませんが、好きな何かに関わることも、
影響を与えることもできないというのは…どうなんでしょう?
一歩間違えれば傲慢かもしれないし、鬱陶しい過干渉かもしれない。
でも、誰かのアクションを待つよりも、自分から動いて相手の成長・
変化を引き出すことができれば…ただ遠くで笑顔を眺めるよりも、
幸せの実感を感じることができるのではないでしょうか?
 
たぶん、私の今までの感想文を通しで読んでいったら、でっかい矛盾が
露呈してしまうかもしれません。それでも、その時私が感じたことを、
できるだけ自分の気持ちに忠実に書き連ねたつもりではいます。
 
蝶が羽化して飛び去っていったとき、果たしてあゆきの心には何が残るのか…
最大の傍観者たる我々視聴者には、知る由もありません。
妄想して楽しむことはできますが。
 
次回は夏祭り、娘さんたちの浴衣姿に心癒されることでしょう。
ビバ、日本文化。